最初に断っておくが、「深い答えは、深い質問から生まれる」この言葉は私の言葉ではない。
松岡正剛の千夜千冊「メディア進化論」で触れた言葉だ。
昨日今日、落合陽一のネット番組で松岡正剛を知ってすっかり虜になってしまった。
「メディア進化論」ではマーケティングを市場とのコミュニケーションと呼んでいて、面白い。
仕事で何も考えずにマーケティングという言葉を発していた自分を恥ずかしく感じた。
意味を深く考えたことがなかったのに、軽々しく使っていた。
「深い答えは、深い質問から生まれる」これは全くその通りで、私にも、クソガキなりに考えて、普段使っているフレームワークがある。それについて記しておこうと思う。
中学生の時に気づいたのはwhatとwhyについてだ。
「what」
それが何であるか、
それが何と自分・他者・社会(自分の想像する有象無象)から認識されているか、
何から構成されているか、
定義は、
歴史的な文脈は何か、
意味の変遷は、
「why」
それはなぜか、
目的、
目標、
他社の目的、目標、
自分の動機、
他者の動機、思惑、
虫の眼、ヒトの眼、鳥の眼、
前提条件、
理由に潜む価値観、
もう1つは、命題を前提条件と命題に分解すること。分解された命題を、さらに細かな前提条件と命題に分解する。
分解の都度、命題の真偽を確かめることで、前提条件の脆さに気づいたり、命題に潜む価値観に気づく。
真偽の意味合いには、正確さだけでなくて、認識の真偽もある。
分解のたびに、上記の「what」、「why」を組み合わせると、命題の認識を改めることができる。
フレームワークは思考の出力をある程度一定に保つが、そもそもの出力の大きさは、日々のインプットの多様さや、可笑しさに拠る。
おもしろおかしいものを考えつくには、面白おかしいものを体験(読む、見る、感じる、会う、行く)しなければならない。
そして、どんなに自信があることでも、自分の認識や考えが間違っているだろうという余地を残す。