君たちはどんなシゴトがしたいか

新卒エンジニアの妄想日記

考えることの質を落とさないためには

最近忙しい、、、忙しいと感じていた。

頭を働かせる時間が長いと思考の質が落ちてくるように感じる。

人と話している時の質問が鈍くなったり、デバッグしている時の原因発見が遅れたりする。

 

長時間の勉強や仕事でも、出力の質を維持するためにはどうしたらいいだろうか?

 

2つ解決策がある。

 

まずは、誰かと一緒に考えることだ。

これは思考の疲れに関わらずいつでも使える。何考えるにも一人で考えるより二人で考えたほうが良い結果が出る。面接の練習や作文の添削を想像してみて欲しい。

 

何か詰まっているときは、解決したい課題を相手に伝えて、どう考えるか聞いてみよう。

 

2つ目は整理すること(目標を明確かつ頻繁に設定、更新すること)

当然のことだが、目標設定があって初めて乗り越えるべき課題が見えてくる。

目標設定やその確認を怠ると不毛な悩みで頭がいっぱいになる。

どこかで書いた気がするが、深い答えは深い問いから生まれる。

整理をすると、忙しいと一杯一杯になっていた現状も整理することができる。段々簡単に見えてくる。

 

この2つの実践を意識しよう。

深い答えは、深い質問から生まれる。 思考のフレームワークについて

最初に断っておくが、「深い答えは、深い質問から生まれる」この言葉は私の言葉ではない。

松岡正剛の千夜千冊「メディア進化論」で触れた言葉だ。

 

昨日今日、落合陽一のネット番組で松岡正剛を知ってすっかり虜になってしまった。

 

「メディア進化論」ではマーケティングを市場とのコミュニケーションと呼んでいて、面白い。

 

仕事で何も考えずにマーケティングという言葉を発していた自分を恥ずかしく感じた。

意味を深く考えたことがなかったのに、軽々しく使っていた。

 

「深い答えは、深い質問から生まれる」これは全くその通りで、私にも、クソガキなりに考えて、普段使っているフレームワークがある。それについて記しておこうと思う。

 

中学生の時に気づいたのはwhatとwhyについてだ。

「what」

それが何であるか、

それが何と自分・他者・社会(自分の想像する有象無象)から認識されているか、

何から構成されているか、

定義は、

歴史的な文脈は何か、

意味の変遷は、

 

「why」

それはなぜか、

目的、

目標、

他社の目的、目標、

自分の動機、

他者の動機、思惑、

虫の眼、ヒトの眼、鳥の眼、

前提条件、

理由に潜む価値観、

 

もう1つは、命題を前提条件と命題に分解すること。分解された命題を、さらに細かな前提条件と命題に分解する。

分解の都度、命題の真偽を確かめることで、前提条件の脆さに気づいたり、命題に潜む価値観に気づく。

真偽の意味合いには、正確さだけでなくて、認識の真偽もある。

分解のたびに、上記の「what」、「why」を組み合わせると、命題の認識を改めることができる。

 

フレームワークは思考の出力をある程度一定に保つが、そもそもの出力の大きさは、日々のインプットの多様さや、可笑しさに拠る。

おもしろおかしいものを考えつくには、面白おかしいものを体験(読む、見る、感じる、会う、行く)しなければならない。

 

そして、どんなに自信があることでも、自分の認識や考えが間違っているだろうという余地を残す。

 

 

 

なぜこの会社に入ったか、ここで俺ができることについて

初めて任された仕事をやっている。新卒入社して初めての仕事らしい仕事。

会社では業務と呼んでいる。

 

私はなぜこの会社に入ったのだろうか。

エンジニアとして好き勝手仕事ができること、まだ少人数で会社の成長を肌で感じることができること、一緒に頑張りたい仲間がいるか、男ばっかじゃないこと。

こんなことを考えながら、今の会社を選んだ。就活が大嫌いだったから、内定承諾も悩まず決めた。

 

この会社が嫌なわけじゃないけど、悩む時もある。自分で会社をやらなくてよかったのか、今の会社でよかったのか。

 

高校に進学した時も、大学に進学した時もあったであろうこの感覚。

自分の選んだ選択と選ばなかった選択にあった可能性について考えると、今の決断が良いものだったのか、悩むのは当然だと思う。

 

しかし、振り返ってみると、私がこの会社を選んだ理由で大きいのは、社員が元気に見えたからである。働いてるのが嫌じゃなさそうだった。

皆笑っていたし、楽しそうだった。

 

入ってからも、最初に抱いた印象通り、働いてる人は楽しそうだし、実際それなりに楽しい。

 

しかし、欠けていると思うこともある。社員を導き、熱狂させる目標だ。

この会社の社長は出張が多いから、意思共有がされにくいのか。

旗振り役が留守な気がしてる。

 

もしかしたら、これは俺がまだ新人で見えてないだけかもしれない。

俺がいないところで素晴らしいスピーチをしてるのかもしれない。

 

けど、もし、俺の予想が的中しているなら、社員にビジョンを示し、目標を与えるのは、自分でも良いかもしれない。

 

皆を見ていても、目指す姿を提示して、彼らの人生に動きを与える先導者を待っているようにも感じる。

 

技術書を自分の糧にするには

高2の時に留学でカナダに渡った。

高1の時は、留学のためにアホみたいに英単語を頭に叩き込んだ。

 

英単語を覚えるのに使ってた本は1冊だけで、その本がボロボロになるまで使った。

毎日ある英単語テストに備えるために通学電車の中で、本を折り曲げて、単語の日本語訳を隠して暗記するのを繰り返した。

 

だから、単語テストの結果はいつも良かったし、忘れてきてはいるけど、単語の語彙は今でも自信がある。

 

エンジニアリングの技術書でも同じことが言えるんだろうな。俺は結構何冊か一気に買ってしまう方だけど、そういう時に限ってあまり読まないんだよね。

 

今はLaravelのフレームワーク学習してるけど、これは1冊を何周もして、MVCアーキテクチャだったり、Webアプリケーションの基本が頭の中に染み込むまで使い倒していきたい。

 

読んじゃう本と読めない本

本が好きだから、沢山本を買うし、沢山本を読む。

でも買っても読まない本もあるし、手に入ってすぐに読み終えてしまう本もある。

積読本も巡り巡って読む時があると思ってるから、悪いことだとは思わない。

 

だけどこれらの違いはなんだろうか。

 

きっとそれは、現在の自分の課題や興味関心にとって重要かどうかで決まるのだと思う。

年末に落合陽一本があっさり読めたのも、自分の描く世界像の解像度を上げたい、24年の自分の指針を定めたいという課題があったからだろう。

 

そう言う意味で、本からの学びを大きくするには、まずは自分の抱えている課題や好奇心をクリアに捉えることが大事なんだな。

今年はどんな一年にしようか


年末年始は旅行をしながら、今年をどんな年にしようか考えていた。

 

エンジニアとしてどんなものが作りたいか、

属性をまっさらにしてどんな人間になりたいか、

じっくり考える時間を作ることができた。

 

旅のお供に落合陽一の「魔法の世紀」と「デジタルネイチャー」を連れて行った。

「魔法の世紀」は完読して、「デジタルネイチャー」には手をつけなかった。

「魔法の世紀」では落合陽一が掲げるデジタルネイチャー、これまでのデジタル史を振り返りながら、落合氏が掲げるデジタルネイチャー(物質と情報のインターフェースの拡大?)みたいなマニフェストについて語られていた。

 

我ながら良い選書だった。

 

この本も読みながら、私が辿り着いた今年のマニフェストは、自分の好奇心に従いながら、多くのことを広く深く経験して、自分の興味関心の解像度を上げることにした。

 

平凡な目標かもしれないが、落合氏もデジタルネイチャーみたいな立派なマニフェストが見つかるまでは、自分の好奇心に素直に向き合いながら、いろんな研究に没頭したり、勉強をして、目指す世界像の解像度をあげたらしい。

 

落合氏は13ぐらいの頃から研究したりしてたらしい。俺はつい最近までゲームして寝てぼんやり生きてきたから、俺にとってのスタートは22歳。10年くらいのdisadvantageがあるわけだ。彼がデジタルネイチャーを考えたのは25歳くらい(知らない)?大成するのに13年くらいかかるわけだな。

今は生成AIだったり、いろんな生産性向上ツールがあるから10年以内には同じような風景に辿り着けるんじゃないかな。

 

俺は研究者じゃないけど、自分の好奇心に従いながら、実現したい世界像を練り上げて、それに向かって進むのはどんな属性であろうと一緒だろう。

 

あまり長期的な保身をせずに、自分のやりたいことに耳を傾けながら、面白いものをたくさん作りたい。